my1988

思考と表現の練習用ブログ。

ブログ Nostalgic Revival

前回のブログで取り上げた、「モダンを懐かしむ」という行為について。

その試みを実践する場として、tumblrで「Nostalgic Revival」というページを始めることにした。ひとまずは、有名無名を問わず、近代の洒落者たちの写真を挙げ、ファッションについて見てみることにしようと思う。まだ生産性には程遠い内容であるが、とにかくモダンとは何か、モダンなファッションとは何か、その定義ではなく感覚を、写真を挙げ、キャプションをつけることを通して実感してゆきたい。

「Notstalgic Revival」:http://nostalgicrevival.tumblr.com/

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ノスタルジック・リヴァイヴァル―服飾に関すること

「ポスト」モダンにいる現代人は、近代にある種の憧れを抱いている。此岸から彼岸を憧れるのではなく、彼岸から振り返って此岸を夢見ているのである。たしかにそれは憧れとまでは言えない場合も多い。なぜなら憧れるにはまだ早すぎるからだ。我々は精神的支柱として、近代的な精神をいまだに多く頼っている。制度的には近代を受け継いでいる現代社会では、それほど近代に憧れを抱く必要はないのかもしれない。現にそのなかに生きているからだ。だからそれは多くの場合、憧れと言うよりは未練なのかもしれない。捨てるに捨てられない近代的なもの、それを持て余しているのだ。「主体たる個人」である私の、唯一の「目的」や「理念」、「男らしさ」や「女らしさ」、強く逞しい「自律性」、絶対にブレない「一貫性」、伝統的に我々はそういったものを必要以上に意識してしまう。我々は、近代的な、強く逞しい人間像に大きな憧れを抱いている。そして、そう言った理想を思い描くように、社会は我々に仕向けているようにも思える。

無論、いつの時代においても若者はそうした既成概念との葛藤を体験する。つまりいつの時代においても、前の時代を終わらせ、新たな価値観を以て時代を更新することを願望するものだ。そうやって近代は何度も更新を重ねてきたが、なかなか近代は終わりそうもない。

さて、しかしその近代の延長線上にはどんな理想が存在するのかというと、科学技術や医学といった分野においてはどうか分からないが、とくに文化的なフィールドにおいては実に混迷を極めているように僕には思える。我々は共通の言語で、共通の理想を語ることがもはやできない。(たとえば30年前にそんなことができたのか、僕には実感がないので分からないが)。そして何より、我々はどうやって近代を更新してゆけばよいのか、具体的なイメージを持ちえていないのではないだろうか。

そこで僕は「近代を懐かしむ」という、ある意味で気取った生き方をしてみたいと思っている。彼岸に渡り切れていないことは重々承知しているのにも関わらず、あえて背伸びをして、過去を振り返ってみるのだ。過去と言っても、僕の生きたことのない過去である。こうした感情は一種の懐古趣味であろう。近代っぽい考え方からすると、それは軟弱で非生産的な感傷趣味だ。この「近代」氏の忠告は実に重い。「近代」は、新しいものを生産して前進し、開拓を続けることを前提にしてきた。僕という現代人もまたその申し子であるから、父なる「近代」の言葉は無視できないのである。しかし、我々のフロンティアは前にはないようなのである。否、無論それは前にあるのには違いないが、いままで近代が前駆してきたようには、我々の近代は前へは進まない。僕にはそのように感じる。

我々に足りないものは何だろう。たとえば我々の町に足らないものは。我々の服装に足らないものは。それはちょうど「懐かしむ」ときに湧き起るような、情緒性ではないだろうか。それは夢と懐古が織り交ざったような「寂び」のような感情である。たとえば、ヴィクトリア朝の家具や雑貨に囲まれた空間に足を踏み入れたときに感じる、ある種の「寂び」、この感情を普段我々はなかなか味わうことができない。

ノスタルジックなものに対する感動が、いつになっても非生産的で、退嬰的なものと見做されていることに対して、僕はいつも苛立ちを感じている。無論それが受動的な消費として完結している場合には、何の生産性もないのは明白である。そうではなく、それを能動的に生産してゆく、クリエイティブな行為として機能させてゆくことはできないだろうか。

たとえばファッションにおいてはどうだろうか。

当面、服飾におけるノスタルジック・リヴァイヴァルについて考えてみたいと思う。

 

近代的な理想、「本当の自分と向き合う」 ―平野啓一郎「私とは何か」

このブログを書き始めた最初の頃から、僕は「自己と向き合う」、或いはより正確には「本当の自己と向き合う」という、実にありふれた問題について直接に間接に触れてきたように思うのだけれど、実のところ同時にこの「自己」という概念が、如何ともしがたい現実との齟齬を孕んでいることについても、これもまたありふれたことに、なんだか釈然としない、歯痒い思いを感じてきたことは、とくに同時代人の方には容易に想像がつくところだろうと思う。

ポストモダンの思想では、主体である「私」は解体されてゆき、同時にその主体が持つ目的や理想もその超越性を喪失する。しかし一方で、自律的でブレない超然たる「私」はいまだに語り続けられているし、社会はけして、科学技術が人間の銭勘定や車の運転技術の重さを減じてくれるようには、人間の責任能力の重大さを減じてくれるわけではない。どうやらむしろ、我々は今までどおり、あるいはそれ以上に個人主義における責任を果たし続けなければならないようである。つまり、その意味で我々はまだ近代人なのであって、仮にポストモダンという、僕にとっては使い慣れない言葉をあえて使うなら、それはまだ十分に「近代」の一部なのではないかと思うのだ。

話がややこしくなったが、要するに僕は、いくら目的や理想がぼやけた感じになっても突きつけられる、「主体たる自己」という、この実際よく解らないものを、持て余しているのだろう。そこで一般的には、そのぼやけている目的や理想を探すために所謂「自分探し」の旅に出て、なかなか帰ってこられなくなるか、「主体たる自己」を完全にただ「主体のための自己」にするために他者との関係を絶ってしまう「引きこもり」になるか、・・・こうしたことが80年代以降よく語られてきた典型的なパターンであろうと思う。

この「私とは何か」問題について、小説家の平野啓一郎2年前にまさにそのままの「私とは何か」という題の文章を書いていて、そのなかで「分人」(dividual)という概念を提唱した。彼はこれ以上分けることのできない最小単位としての「個人」(individual)に対して懐疑的である。まさにdivide(分ける)に否定の接頭辞inのついた「個人」という概念は、ひとりの人間がそのうちに様々な感情を抱き、ときには相互に矛盾するような複数の立場に同時に置かれうる(現におかれている)ことを考えると、果たして最小不可分な単位として妥当であるか、という疑問が思い浮かぶ。氏はその点を指摘している。A氏といるときの自分、B氏といるときの自分、職場の自分、家庭の自分、書斎にいるときの自分、それぞれがみんな違っている、というわけである。それでは、その異なる自分は、どのようにして出来ているのであろうか。氏は、その場その場の環境の、その場その場にいる人々とともに形成されているのだと考えているようなのである。高校時代の友人たちと共にいる自分は、彼らとともに、大学時代の友人たちと共にいる自分は、大学の彼らとともに。だから高校時代の友人と、大学時代の友人が同席したりすると、たちまち混乱して困ってしまうというわけだ。

こうしたその場その場での顔、つまり「分人」を最小単位にした思想すなわち「分人主義」を、氏は構想しているのである。この思想は文章の最後のほうで、「文化多元主義」「多文化主義」になぞらえて、「分人多元主義」や「多分人主義」という表現に置き換えられている。「分人多元主義」は、文化多元主義における「国民」というアイデンティティーがすなわち「私」というアイデンティティーに置き換えられるのだ。まず私があって、さまざまな分人がいるのか、さまざまな分人がいて、結果的に私が成立しているのか、そのどちらがよいかという議論はこの本ではあまりなされていないが、とても意義深い指摘だと僕は思う。

こうした観点に立てば、個人の自律性や言動あるいは言動以前の一貫性といったものは、今までより遥かにその意義を失うか、まったく違ったものとして考えることになるだろう。契約書を取り交わすレベルでのある意味形式的な個人は残り続けるだろうし、これは早急に廃止されるべきものでもない。社会的な責任の所在はむろん従来の「個人」のままである。しかし、この「個人」を作っているのは実は「分人」なんだ、というのが、この話の中心問題である。つまり、社会でも「市民」や「人民」が革命を起こせば政治を変革できるように、あるいは移民の人数やヴァリエーションによって、社会の様相が変わるように、「分人」の在り方や「構成比率」が変われば、「個人」には様々な在り方の可能性がある、ということだ。たとえば、「どういう私になりたいか」というプランがあるのなら、どういう分人を開拓してゆくべきか、すなわちどういう環境に身を置き、どういう人間と付き合うべきか考えることができる。このようなことを氏も言っている。平たく言えば、様々な感情や考えを持つ個人を無理に統合しようとするより、分人とうまく付き合ってゆくほうが、ずっと有効で合理的だと言うのである。

だから、ここからは僕の考えになるが、自律性や一貫性という言葉は、国家概念に置いてすでに古臭くなりつつあるように、「私」の概念においても同様に一旦放棄してはどうか、そういうことではないだろうか。社会的な責任の問題はひとまず括弧に入れるとしても、「私の中の(この)わたし」「私の中の(あの)わたし」という、今までマンガのなかか子供の会話のなかでしか存在しえなかった概念を、より具体的に表面化してゆくことは大変意味のあることではないかと僕は思う。なぜなら、自律的で一貫した人間などというのは、そもそも存在しないだろうし、いたとしてもそれは大いなる取り繕いか、何らかの大きな矛盾を抱えているだろうからだ。

さらには、単一文化主義的な「私」観、すなわち「あれか、これか(さもなければ、絶望か)」という考え方もまた同様に一旦放棄したいものだと僕は思うのだ。「私は誰であるか」と言う答えに対して一つの答え、あるいは平野啓一郎風に言えば「一人の分人」しか出てこない、出てきてはいけないというのはなんとしんどい、なんと寂しいことだろうか。それは、「今最も表に現れている分人」の意見に耳を傾けているに過ぎない、幸か不幸か、実はそれだけのことだったりする。明日になったら、また別の分人が別のことを言うのかもしれない。

ただし、それでもなお我々は自分にこう問い続けるのを止めないだろうと僕は思うのだ。「本当の私とは何か」。哲学について考えるとき、我々が「真理とは何か」という問いを未だに止めないのと同じようにである。

ただひとりの伴侶。ただひとつの愛。ただひとつの仕事。ただひとつの理想。ただひとつの目標。我々はフォーカス・オンが大好きなのだろう。そうでなければならないと思っているし、思わなければならないようにこの世界ができている。そのように思えてならないのだ。

ただひとつの人生。結局のところ、それだけで十分のように僕には思えるのだが、どうだろうか。

軍服趣味に思う

今月の半ばに、コスプレイヤーの友人を集めてお茶会をすることになった。

コスプレイヤーと言ってもアニメのコスプレではなくて、ファッションとして異国趣味・懐古趣味な服装を楽しむハイセンスな人たちである。不思議の国のアリスや、シャーロックホームズのような19世紀末、金田一耕介や明智小五郎のようにマントを翻す大正・昭和のレトロ・モダン、などというと少しベタなようではあるが、それぞれが思い思いに空想を膨らませて着飾りお茶やお喋りを楽しむ。いまからすでに楽しい時間が実に待ち遠しい。

ところで、そのなかのある友人は宮廷服や軍服の趣味があるらしい。僕は日常身に着けることのできる服のみに関心があるので、そういったものについて考えたことはなかった。彼は今回、第三帝国時代のドイツの将校服で来るというのだ。そういえば、数年前ヘンリー王子のコスプレが物議を醸し、世間を賑わわせたことがあった。王子は「シンドラーのリスト」を鑑賞させられ、アウシュビッツを訪問させられて、敵国ドイツの残酷さを学習することを命ぜられたのであった。

僕も今回咄嗟にそのことを思い出し、一瞬複雑な気持ちになった。別に身内のパーティーであるから、取り立ててやかましく言うこともあるまい。しかし、一つ場所を変えると、それは大変大きな意味を持ちうる行為であることは事実である。そこで僕は今回、この意味について、今一度考えてみることにした。なぜいまさらその必要があるかと言うと、こういったことが今後ますます重大な意味を持つようになると思われるからである。それは実に、残念なことなのだが。

ナチスの制服を着るという行為の、どこがいけないのだろうか。僕は何もいけないとは思わない。ナチスの軍服はたしかに魅力的である。ある服飾批評家は、当時のドイツがいかに軍服のデザインに力を入れていたかを力説している。考え抜かれ、計算され尽くされた、優れた軍服なのだというのである。その詳細はさておき、僕にもナチスの軍服には何か特別な魅力が備わっているように思われるのである。それは国家社会主義芸術とは違って、同じ国のものとは思えないほど近代的である。ナチスの制服とハーケンクロイツのデザインこそ、連合国側によって禁忌とされてきた、「もうひとつの近代美」ではないだろうか。それらは、デザインとして、「あくまでも」デザインとして卓越しているように思うのだ。

軍服というのは本来職業と階級を示すための服であって、とくに権威と権力に寄りかかり、それを他者に対して誇示するために用いられる。それゆえ、一般の洋服とは違って、その立場にないものが着ることは許されない。それを時代も階級も無関係なものが着用するという点が、軍服趣味のねじれた部分である。軍人は、軍服を着ることによって、その軍の理念に従うことを約束させられる。命令に準ずることを誓わされる。それは、能動的な場合も、受動的な場合もあるが、外に対しては、軍の所属であり、いついかなるときも軍の方針に忠実であることをアピールしていることになる。この軍服の持つ特性は無視できない。そして、制服のなかでもとくに軍服の場合は、人を殺す命令を受ける者の服なのである。

軍服趣味には、人を殺す命令を受けることを誓った階級にあえて扮する、というある意味倒錯した心理を内に秘めている。この倒錯した感情が、軍服趣味の人にとっては魅力的なのだろうし、それゆえに反対者には不愉快なのであろう。ここで、我々の胸には、一抹の不安がよぎりはしないだろうか。つまり、それが残酷さ、すなわち殺人をも同時に肯定することになりはしないか、という不安である。これはその限りでは、なるともならないともいえない。

事実、軍服趣味の延長線上で、国家主義、ひいては軍国主義を擁護する向きも少なくないだろう。だがそうなるともはやそれは思想であり、趣味ではない。とはいえ1000万人のユダヤ人を虐殺し、自由な思想を徹底的に迫害したまさにその軍隊の制服を着て歩いているのを見て、平和と自由を愛する者であるという印象はとても抱けない。それは残酷な者の服である。いまとなっては、それは動かしがたい事実である。

しかし、軍服趣味の人たちは、この理屈に納得がいかないであろう。なぜなら、彼らは「美しい」から着たいのだから。政治を持ちこむつもりのないピュアな愛好家は、この問題に頭を悩ませる。「美しいものを、どうして美しいと言ってはいけないのか」と。そしてそれは倒錯した感情によってもたらされるものゆえ、堂々と論破できない歯痒さを感じているに違いない。彼らはそこに、嗜好の抑圧と言論の弾圧をさえ感じるかもしれない。

ここに立ちはだかるのは、記号としての制服と、意味内容としての制服、という問題である。たしかに内容の一切を捨象して、軍服を見ることは難しい。それは前にも述べたとおり、軍服というものそれ自体が戦争に関与する者の服であり、その証明となるからである。しかし記号としての制服という領域は確かに存在し、その制服は見る者によってはとても美しい。そして、その記号にはお望みならば美しい物語を付与することも可能である。ナチスドイツの心優しい将校、誠実な将校、苦悩する将校。そういうイメージを想像できないというのはむしろ想像力の貧しさであろう。いや、楽しむうえでは別に善良なイメージを抱かなければならないわけではない。ずっと残酷なイメージを想像して楽しんでも構わない。ただ、真に残酷でなければよいのだ。

この場合、真に残酷であるということは、残酷を実践することだ。悪意ある言動、差別、虐待、暴力を、私的、公共的の両面において肯定することだ。私的とは、目前の人に対してであり、公共的というのは、政治的思想を含んでいる。この点で、記号と内容は峻別されなければならないだろう。その限りにおいてこそ、趣味としての軍服趣味が許されるのだと僕は思っている。

ところで今日、こうしたことがますます重要な意味を持つようになってきているのではないかという懸念が胸をよぎる。レイシストのデモも絶えず、政権もまるでその後ろ盾をしているようなありさまで、支持率も依然高い。大局的には、今日いままでになく残酷な時代が到来しようとしているように思われるのである。それはすなわち、記号より意味内容のほうが問われる時代になってきているということなのだと僕は思う。人は以前より、言葉遣いや言動に気を配らなければならなくなるし、見る側としても、表面的な記号にずっと敏感になってしまう。頭の固い時代がやってくるのである。

僕が中学生だった頃は、社会民主主義的な教育を鬱陶しく思うような時代であった。それくらい学校は教条的な平和教育に満ちていた。それゆえに僕もナチスドイツの制服に憧れを抱いていた。それは純粋な美意識と、倒錯感情によって支えられた感情であった。そして、何より無知なる反抗でもあった。いま、ネトウヨと呼ばれている人たちはひょっとするとその延長線上にいるのではないだろうかとときどき想像する。空っぽな頭のあいだにハーケンクロイツや軍服に憧れを抱き、その延長線上で残酷な思想や歴史を受け容れてきた同世代が、実は少なくないのではないだろうか。彼らは想像力と美学を政治に持ち込む。そして時として残酷を肯定する。僕は思うのだが、政治など、大きいことでも、美しいことでもない。実に汚く、卑小なことだと僕は思う。だからこそ、より理性的でなければならないのだ。

さて、そうしてみると倒錯した感情を政治ではなく趣味の世界で満喫する純粋なる軍服趣味者には、もう少し温かい目線を送りたくもなるのだ。美しいものは美しいじゃないか。魅力的だと思うのならば、別に目を背ける必要はない。ただ政治において理性的であるならば。それが正直なところである。

モダンを懐かしむ

僕は中学のとき、美術の先生に「モダンでレトロなイメージの作品を作りたい」と言って失笑されたことがある。そのとき、先生からは「全く反対じゃないか」というような反応が返ってきたのを僕は憶えている。たしかに、モダンとレトロという概念は本来、まったく方向性が逆であって両立不可能なもののはずである。少なくても最近までそうであった。

しかし、今日的な感覚ではモダンとレトロは同じ範疇の語彙として理解することに、誰も異論はないだろう。「モダンだね」という表現はとてもレトロな響きを持って聞こえてくるし、モダンアートは実際にもはやすっかり過去のものである。我々は誰も現代アートのことを「モダンアート」とは言わない。

詩について考えてみた場合、より近代と現代の違いがはっきりする。近代詩とは文語調で、場合によっては定形詩である。それに対して現代詩の多くは口語で、自由詩であることが多い。その現代詩が今日ではもはや過去のものになろうとしている感すらある。現代詩と言う表現にさえ、なにか懐かしい響きを感じないだろうか。詩においては現代さえも終焉の体を見せる今日、近代とは遠く昔のことを指しているのであって、すっかり「懐かしい」のである。

もっとも、この意味での「近代」は、日本独特の響きのものであるかもしれない。詩における現代詩の終焉とは、思想でいうところの「近代の終焉」とほとんど意味を同じくしているように思えるし、それはつまり、自律的な精神、自律的な自我を追及する試みが行き詰りを見せているという一般論で要約ができるようにも思われる。

さて、最初のエピソードに話は立ち返るが、モダンとレトロが今日いくら同義語のように聞こえようとも、そこにはいまだなお本質的な大きな溝があることは言うまでもない。それは、モダンと言う言葉に含まれている機能主義的な理念であり、それはどう頑張ってみてもレトロの軟弱さと背反してしまうのだ。軟弱さ、という表現はよくない。言い換えるとすれば冗長性という語が適切であるかもしれない。

レトロと言うものは、本質的におしゃべりである。「あの頃はよかった」というため息まじりの一言にはじまり、「貧しかったが、楽しかった。僕が16歳の時こんなことをして、その年東京でオリンピックがあった。そのころ友人のA君は何が好きでよく何をして遊んだ。ちょうど父はそのころ何処で働いていて・・・」と言う具合に、次々と物語が喚起される。ホーローの看板ひとつとっても、そのなかにはたくさんの散漫な情報が秘められているのであり、見る人は、彼がたとえ同時代人でなくても、そういった物語を想像することが可能で、そもそもそのように仕掛けられている、それがレトロということである。

いっぽうで、そういう冗長性を一切退けようとするのがモダニズム(近代主義)の中枢に流れる機能主義の精神ではないだろうか。機能主義の精神は概ね、過去や感傷に寄りかかったりするのを嫌う。簡潔、明瞭で、哲学的。高い知性と精神性を好む。この両者が本質的に水と油であることは、時代が進んでもなんら変わることはないのである。

さて、モダンがすっかり過去のものとなり、懐かしむ対象となった現在においては、この背反する両者の境界がもはや曖昧になりつつある、これは実に面白い現象ではないかと思う。いうなれば、コルビジェのコンクリートと鉄の建築物が、風雨にさらされ、錆び、苔がむしてきているのである。そこでさまざまな人の人生が繰り広げられ、生まれ、結婚し、死に絶え、また誕生し、そうしてモダンがどんどん冗長的になってくる。

あるいは、「摩天楼」とか「電気」とか、「文化」とか「進歩」とか、「夢」とか「精神」とか、・・・・、そういった語彙に特別な意味を篭めていた広い意味でのモダニズムが、古い卒業アルバムを見るようにとても懐かしく思えてくる。

背伸びするけなげにも痛々しい青年期のようであった20世紀が、過去のものとなって今日で13年目だ。まだ21世紀は未成年であり、ムードとして20世紀を多分に曳きずる今日、同じくモダニズムも多分に曳きずっている感がある。

カラカラに乾いた素材で高い建物を作って競うのが、まだ人気なのである。おととしは東京タワーがレトロになり、去年は大阪阿倍野にハルカスが完成、通天閣はさらにレトロな趣を感じるようになった。

今日、レトロの冗長性に浸ることと、「シンプル・イズ・ベスト」と険しい顔をすることは、もはや大して差が感じられなくなってきているのではないかと思う。自律性というワード自体が、もはやレトロになりつつあるように思えるからだ。もちろんそれはイメージの上でのことであるに過ぎない、このことは強調しておくべきだろう。20世紀が過去のものとなり、20世紀のモダニズムが古くなっていっても、未だ我々のほとんどはモダニストのままだ。何物にも依拠しない高邁な精神、多くの人は、そんなものがあるわけないだろうと半ば諦めているのに、しかし実際には未だ諦めきれておらず、縋るようにして探している。なぜなら、自律性を放棄して縋れるような、若々しい概念がまだないからだ。「モダン」はもうすっかりレトロであるのに、精神的には我々は依然として近代に寄りかかっているのだ。モダンは、我々の知りうるもののなかで、まだ最も若々しい。

僕は、20世紀のモダンを存分に懐かしんでみたいと思う。懐かしむのであって、モダンに生きるのではない。モダンを徹底的に鑑賞の対象として再解釈してゆくことで、モダンではない自分の在り方が何か見えてはこないだろうか。僕は最近そんな期待を胸にしている。

 

ここからは個人的な話だが、去年の僕の一年のテーマは「私性と公共性」だった。私がどう公共に関わってゆくのか、関わっているのか、僕なりに考えてみた。モダニズムは徹底的に私性を追求した。それがここ何十年のあいだ行き詰まりを見せているのであり、世の中は、特に日本は、かつての共同体主義の下手な模倣を始めているように思える。いささか極論ではあるが、去年は、私を放棄し共同体の部分となることが脱モダニズムであるという安直な構図の再来の予感をひしひしと感ずる一年であったように思うのだ。政治的文脈では、その基盤が徐々に整えられつつあるように思うし、近代思想の行き詰まりはそれとちょうど重なり合っている。

こんなとき風化したモダニズムを改めて眺めなおすことはとても意義があるのではないかと、僕は個人的に思う。脱モダンとは、自律的自我の追求を放棄して、降伏して、公共へ身を投ずることなどではけしてなく、私性と公共性がナチュラルにフラットになるときはじめて成し遂げられるものだと僕は感じている。このユートピアの理想は安易に投げ出すべきではなく、この点で近代は受け継がれていかなければならないのではないだろうか。

思想的な意味では、モダンはまだ完全に懐かしむべき対象ではない。モダンの延長線上にいまがなくて、どこにあるというのか。

プロフェッショナルでもなく、スペシャリストでもなく

岡本太郎の名著「自分の中に毒を持て」を読む機会にやっと巡り合えた。

「芸術=人間の復権」と説き、人間が人間らしくあるために誰もが「芸術家」であるべきだと主張する岡本太郎の言葉には誰もが強く揺さぶられるのではないだろうか。彼が言う芸術とは「生きること」であり、つまり、「死と直面すること」である。この意味では、前回話題にした草間彌生の芸術に対する姿勢をも彷彿とさせるものがある。彼女のセルフ・オブリタレーションはまさに、死、あるいは恐怖と直面することであり、そのことでかえって生き生きとしてくるというこのパラドックスこそ、ロゴスの裏に永遠に隠され続けている真理めいた謎である。

ところで、僕は「プロフェッショナル」あるいは「スペシャリスト」という言葉

の持つ何か厭な感じを常々気にしていた。プロフェッショナルとは言い換えれば職業的な洗練であり、スペシャリストになるとはひとつのことに特化してゆくことである。

何か一方向、一つのことに収斂してゆくというのは実にすっきりした気持ちの良い構図である。誰でも、そうした構図を思い描くし、思い描かざるを得ない。まとまること、すっきりすることに対する願望は、まさに人間の本能である。

だから、ひとつの職業に打ち込み、ひとつのことに長けてゆくということは、我々の理想像に重なり合うのだ。たとえば、もやもやと付き合っているより、いっそ結婚して「一つになる」ほうがすっきりするというのも、同じ原理だろう。それは「結果を出す」ことであり、理想の「ゴール」であるとされる。

この二つの言葉を聞いたとき、魅惑的な響きを感じるのはそのせいであろう。それはいわば本能的なものであろうから、けして間違ってはいない。

しかし、この原理が何のために用いられるかということが、大きな問題である。

すっきりさせるべきもの、それはいったい何なのか。もしそれをすっきりさせたらその後自分は何になるのか。当然そういった疑問が湧く。

僕自身は、すっきりするというのは、死ぬことではないかと思っている。死んだとき、ようやくすっきりする。人間は生きているあいだは永遠にすっきりしないのであり、それを肯定するしかないのだ。すっきりさせた後というのは、死後の世界だ。すると、すっきりさせるべきものは、この鬱陶しい自分自身の生ではないかということになる。つまり、死に向かって収斂してゆくことが人生の大目標だというわけだ。

自分自身の生をすっきりさせるということは、ちょうどなにか作品を完成させることに似ている。それは鬱陶しさを振り払ってゆく闘いだ。襲いくる鬱陶しさの正体は死だ。その意味では、我々はいつだって、死と隣り合わせなのだ。その死から逃れるために、我々は闘い生きるのだろう。

だとすると、我々の生そのものが一個の芸術作品で、それを己の手によって作り出す、つまりわれわれは、自分自身を創作する芸術家であるとも考えられよう。

僕はその意味で万人が芸術家であるべきだという考えに賛同する。そしてその芸術家の作品は何らかの形にされ、残されてゆくべきである。

その人生という作品のテーマは、あらかじめ定められた枠のなかに収まるものではけしてない。それは文字通り開拓であり、「誰もが経験する機会を与えられた」開拓である。「私」の将来を予見できる神様はこの世のどこにもいない。人生は究極のオリジナルである。だからこそ、全力を投じて開拓してゆかなければならない。

ところで、この世のなかには、仕事、恋愛、趣味、さまざまな生き方のカテゴリーがあらかじめ用意されている。職人、商売人、技術者、仕事のなかでも、たいていはどれか一つを選んで、その世界に専念して優秀になることを誰もが望む。それがあるべき人生創作の仕方ででもあるかのようだ。子供は「将来どんな仕事に就きたい?」と考え、女の子は「どんな恋愛がしたい?」と考え悩むわけである。

しかし、僕はこの些細な問題、いわば小目標に、どうしてそれほど思い患う必要があるのだろうかと、ときどき思う。人生創作に、自ら進んで枠など設ける必要はそもそもないのだ。なぜ人生を特化し、専門的にして洗練してゆく必要があるだろうか。洗練や特化というものは、創作のあと、結果的に振り返るものだ。たとえば、思えば50年生きてきて、自分はこんなものが得意だったのだ、こんなものが好きだったのだ、そうして振り返ったときにはじめて価値がある。最初から枠を設けるなんて、まったくナンセンスではないだろうか。

われわれには「あれか、これか」選択を迫られることがよくある。もちろん逃れられない決断は多い。そして、進んで決断してゆくことが、人生を前に進めてくれる場合もある。だが、決断とは、究極的には、一方を採用し、他方を「切り捨てる」ことである。切り捨てた方のものが無価値だったら良いが、そうとは限らない。そんな場合無理に決断を下すべきでない。切り捨てたほうのもののことを考えてみたいものだ。実にもったいないではないか。「あれも、これも」したいという発想のほうがずっと豊かだ。ずっと率直で誠実である。

僕は、専門化し、特化してゆく生き方に反対する。人生創作は、幅をもたせてこそ豊かになる。なぜなら、その目的はけしてうまく生きることではないからだ。それはまさにいまを生きることであり、人生を生きることだからだ。

岡本太郎の著書を読んで、そんなことを考えた。

 

 

 

 

「セルフ・オブリタレーション」という自己療法-草間彌生「無限の網」

強迫観念に執り憑かれて逃れられない場合、我々に出来ることはその対象を自分の外にアウトプットすること、それしかないのかもしれない。アウトプットするといっても、強迫観念などというおぞましい怪物がさらりと立ち去ってくれるはずもあるまい。それはちょうど高熱を外へ追いやるときのように、悶え呻きながら、夢うつつに妄想と現実を彷徨うことでようやく達成される。そのとき、我々の頭の中では、強迫観念が無限に増殖し、強迫観念で満たされ、ともすると自己はそのなかに埋没し溺れてゆく。

「作って、作って、作りつづけて、その表現の中に埋没していく。それが私のいうオブリタレイト、つまり『消滅』ということなのである」。草間彌生が自伝「無限の網」のなかでこう述べている。精神分析医が言うほど、強迫観念は診療によって容易に消滅するようなものではなかった。むしろいまでは、精神分析のほうがすっかり消滅してしまったくらいである。薬物を用いて幻覚や妄想を減ずること、それしか手段がないように現在では考えられることが多い。しかしそれは治療でなく症状の抑制である。強迫観念と闘うということは、たやすいことではないのである。それは結果的に解決することを望んでするものではない。解消すらほとんどしない。だからできることというのは、闘うことを自分の生き様にしてゆく、つまり闘い自体をライフワークに据え、闘いの道を意義あるものにしてゆく、そういうことだろう。彼女はその営みをすこぶる生産性のあるものに高めることができた。まさしくアウトプットし尽くすことができたのである。永遠に消滅しないものをそうと解っていて、無限に消滅へと導いてゆく、そういう精神態度を彼女は創作に結び付け、作品に籠めたのだと僕は思う。

たとえば、草間彌生はこんなことを言っている。

「とにかくセックスが、男根が恐怖だった。押し入れの中に入って震えるくらいの恐怖だった。それだからこそ、その形をいっぱい、いっぱい作り出すわけ。たくさん作り出して、その恐怖のただ中にいて、自分の心の傷を治していく。少しずつ恐怖から脱していく。私にとって怖いフォルムを、何千、何万と、毎日造りつづけていく。そのことで恐怖感が親近感へと変わっていくのだ。」

これが草間彌生の強迫観念に対するアプローチだ。男根恐怖ということ、それ自体も意味深いが、それよりも注目すべきは対するアプローチのほうである。自分の恐怖するものを作る、それで空間を満たして自分はそのなかに埋没させる。これほど強迫観念との闘いを直接的にあらわすものは、おそらくほかにないであろう。頭の中で展開される闘いというのは、まさにそれだからだ。

怖いもの、嫌いなもののイメージはずっと頭の中に留まりつづける。そして、増幅し、拡張する。自分はというとそのなかで萎縮してやがて窒息しそうになる。草間彌生は、どうしてもここから逃れることができない。しかし、そこからなんとかして脱出しなければ、息をすることができなくなってしまうのである。

だからこれは、「怖いものに逃げずに立ち向かっていく」ということとは厳密には少し違う。「自分のできないことを無理にする」のでは全くないからである。それはおそらく、彼女にとっては「できないこと」であるわけもなく、むしろ「しなければならない」というより「しなければ死んでしまう」ことなのだろう。

もちろんただ作ればよいというものではない。表現しなければならないのだ。それは単なる圧力ではなく「外に向かった」(ex)圧力(pression)でなければならないわけである。高熱を外へ追いやるように、強迫観念を、それに形を与えて作品として外に追いやっていくことが、草間彌生の表現なのではないだろうか。

しかしそれにしても、この表現の方法はストレートであるにもかかわらず、実にパラドキシカルである。オブリタレイト(=消滅)は、自ら対象を徹底的に受容することによって達成される。受容というのではまだ足りない。進んでそれを作り出し、むしろ自己のほうが消滅するくらいまでにそれで満たすことによって成し遂げられるのだ。これは強迫観念自体に属するパラドックスでもあり、同時にある種の表現行為、つまり強迫観念に端を発する表現行為のほとんどすべてに共通のパラドックスであると言えるだろう。

曝け出したくもないダメ人間っぷりや、見たくもない暴力性や非道性に異常に執着して作品を作り出してゆく作家たちと草間彌生は、コンセプトにおいては反対であっても、このパラドックスをおなじく共有している。それは草間彌生が言うように「自己療法」なのだ。いまのところ、この自己療法のほかに特別効果のある精神薬や治療法が見つかったと言えるだろうか。そしてこの先もおそらく見つからないのではないだろうか。強迫観念から逃れうる「唯一の」道は、ひょっとするとオブリタレーションかもしれない。